“兵庫県立西脇工業高校   陸上部監督  渡辺公二先生  の講演を聴いて”
                                                     
                                                      八田 武士
 
赴任した当時、兵庫県下で5本の指に入る“非行、暴力校”であった西脇工校の中で解散してしまっていた
陸上競技部をいかにして立て直し全国制覇するまでに至ったかを話された。
 
何しろ西脇工校の制服をきて町の中は、恥ずかしくて歩けなかったときのこと、解散した陸上部員一人一人
の家へ日参してやっと12名が集まりそこからスタートした、昭和43年の時であった。
7月からスタートしその年の夏休みは1日も休まず“2万メートル”を走らせた、本当に日射病になった者もいた
が日射病にかかったふりをしてして倒れて練習を怠けるものもいた。しかし全員よくついてきてくれた。
選手達には「これだけよく走ったのだから郡大会の駅伝には6位以内に入れる」といって出場させたレースの
結果は17校中ビリから2番目の15位であった。
選手からは監督の言うとおりにしたのにこんな結果だといった不満が続出し退部したいと申し出るものもあった
がそれを時には夜12時ごろまでの時間をかけて納得させ再出発した。
 
また一からの練習を始めたが、勝つための練習もよいがまず“選手つくり、人間づくり”からしなければならない
と思い次のことを徹底して守らせた。
 
   ・ あいさつをする  同僚、先生、通行人、通学中の駅員にいたるまでの人たちに「おはようございます、
                 ありがとうございます、さようなら」といったあいさつをさせた。
   ・ そうじをする    教室、便所、校庭、部室、グランド、学校の周り、通学の駅前といったところすべてを
                 早朝または練習終了後に必ずさせた。
   ・ 校則を守る
   ・ 授業は耳で聞くのではなく目で聞け 眠るな
   ・ レポートはかならず提出する。
 
といったあたりまえの“世間の常識”をくりかえしくりかえし出来るまで実行させた。もちろん陸上の練習もきっちり
こなさせた。
 
以上のことを粘り強く推し進めた結果、西脇工校に赴任してから9年目にして初めて駅伝の兵庫県大会に優勝し
全国大会で9位になった。
 
以後より科学的な練習方法も取り入れ強くなった。
 
駅伝の戦績は
   ・近畿高等学校駅伝競走大会   昭和52年度初優勝以来平成15年度まで23回優勝
   ・全国高等学校駅伝競走大会   優勝8回、準優勝2回、第3位3回
   ・平成9年度               日本最高記録  2時間03分18秒  樹立
を誇る。
 
次に渡辺監督の“モットー”を記します。
 
   ・試合に負けた時は励ます。まず選手を褒めること褒めて褒めて選手は育つ
   ・苦言をためらうな
   ・ほめ、しかり、はげますの繰り返し
   ・選手をよく見極める
       能力以上のことはさせない、余裕をもたせる、腹八分目にする、そうしないと選手はつぶれる 
   ・駅伝は“タスキをつなぐものではなく心をつなぐもの”である
       西脇工校には現在52人の部員がいるが駅伝に出場できるのは7人である残りの45人は出場できない
       そのギャップをどう埋めるかそれには当日45人には何かの役割を持たせて必ず参加させている
   ・アマチュワは“和”で勝つ
   ・プロは勝てた時しか“和”が出来ない
   ・勝ったときは選手の能力、負けた時は指導者の責任と受け止める
   ・集中力をつけること
   ・食事が大切
       5大栄養素を必ずとらせる
       主食である米を大切にする
       最近伸長がいちじるしいケニヤの主食はトウモロコシである
最後に最近アフリカ各地からの留学生を受け入れる高校が増えてきた。西脇工校のように日本人だけで戦っていかに
して勝つか、苦慮している難しい時代になった。
 
といった内容でした、渡辺監督は早口であったため記録筆記が追いつかずとりとめもないまとめになりましたが、少し
でも皆様の参考になれば幸いです。
私としては、
         “駅伝はタスキをつなぐものではなくこころをつなぐものである”
                                               という渡辺監督の言葉が印象に残りました。
 
                                                                以上